これからのゲーム批判
4gamer.netの記事 http://www.4gamer.net/games/036/G003691/20080110026/を見て、正月早々に起こった事件を思い出しました。日本の事ではないし、ゲームが!ゲームが!って今までの報道が決行ほんぽんたんなのばっかだったから?あんまりコッチでは大きくなっていないような感じ?
繰り返し言ってるうちにまとまってきた私の見解を申しますれば、ゲームにせよテレビにせよ、知った「方法」は、表現手段として選択されうるだけであって、それそのものが問題とは言いにくいです。内界の問題(これを多くが発達障害的傾向といってしまいたいけれど、それはやっぱり怖い……)がまずあって、そこに不安不満苦痛苛立ちなどの再生産≒表現が発現する、みちあな感じで。
つまるところ、規制をかければ確かにある程度、一時的にはかなりの、成果が得られるものの、結局いずれは試行錯誤の果てに新たな表現手段が獲得されてド━━━(゜ロ゜;)━━ン!!ってなわけです。
まあ、紆余曲折ごたごたあったあとに、今のサスペンスあたりの位置づけに落ち着くもんだとは思いますが。人が殺人を知るという点ではサスペンスやらミステリーほど直球なもんはないような。あんだけサクサク殺人を出してても、毎回毎回殺人はいけないんだ!法の下で償うんだ!なーんてのは滑稽でしょうがありませんけども。
でも、結局こういう類の議論の最前線でやりあってる人達って、純粋な議論の精神というより、色んなものに取り憑かれちゃってる場合が多くて見てるとしんどいです。映し映され突き動かされているのが人間だと言ってしまえばそれまでですが。
今さっきラジオでチャップリンの「人士絵はクローズアップで見れば悲劇だが、引きで見れば喜劇」って言葉が頭を過ぎります。人間にとって諸々が必死で、神様から見れば全てがコメディなんでしょうな。困ったもんです。犯罪をやってしまうに至る人も被害者になってしまった人も切実なのに、それをやんややんやと言う側はゲーム嫌いとゲーム好きの不毛なやり取りですもの。
にしてもこのライターの火との着眼点は面白いですな。マクドナルドはゲーム反対=運動量増加=肥満解消=自社の批判軽減……でゲーム攻撃側、ペプシはゲームしながらだと清涼飲料の消費が増えるからかゲーム開発にも資金出してる……なーんて事にも触れております。……やっぱり滑稽ですな、人間の願いと想い以外の行為って。
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