うーんー、どうしてこんなに多いのかしらん
ブランデーリッキーが今になって回って来たですよ〜。ねむねむ…。
んー、今さっきネトゲでちょっとしたケンカ?があったのですが…、私はまあ当事者ではないのですが。
なんていうか、言葉のちょっとした部分で引っかかって腹を立ててしまう人がやっぱり多くなってるような気がするです。その反応がまた、発達障害敵傾向を感じるので厄介です。
私ももろくそその傾向があるため、自身に大しての認知行動療法的アプローチをもってして日々制御しておるわけですが、だからこそ頭が痛いです。彼らの反応がたまたま疲れていたとかそういうのじゃないのは良く分かるし、かといって発達障害なんて言葉を持ち出すわけにもいかず。だって、世間一般的に言えば「性格の傾向」という定義の範疇に入ってしまうのですから。
いやまぁ、類は友を呼ぶと申しまして、私の周りには何故か何かしらありそうな人が集まってくるというのはあります。本当に昔から、学校とかでも私は「その他のグループ」みたいな位置づけのまとめ役?みたいなところにおりました。感度が良いクチなのでそれとなく関係を持つこともありましたけど、それ以上にいつの間にか周りに集まっていた記憶があります。
そんなこんなで相も変わらずネトゲの中でもなーんか一癖ありそうな人がホラそこに、みたいな。私自身が問題アリなので、相手に自然と合わせられていたのかもしれませんけど。んで、その知人同士がかちあってしまうと何かとごたごたあるわけです。うう、しんどい。いや、私の中身も反応して引っ掻き回すことも度々ですが……。
16人に一人というデータが正しいのであるとすれば、学校であればクラスの中に一人か二人は変なのがいる、みたいな事になります。うー、当たってる…。私の傾向が父方と母方、両方の傾向をモザイク状にブレンドした感じなので、遺伝が要因だと考えております。化学物質だとすると母胎からのみだし…、環境が感情反応の根っこの部分に及ぼす影響は低いでしょうし。だとすれば過去の時代にも同じような人は同数いたはずなのに今になって問題視。問題が発言する条件に現代特有の何かがあるんでしょうか。
昔は変なヤツは変なヤツなりに生きていけた(いけた割合が多い)のかも知れません。でも今はまず最初に「普通のことは出来る」ことが求められるのでしょうか。個性というのは基本がまずあった上に成り立つものだ、みちあな。ちょっと大量生産チックですかね。でも意外と当たってるような。
あたしみたいな、社会でまともに生きられてない場合はわかりやすくて却って良いのかもしれません。なんとか食らいついて言っていると、前提条件である普通を既にみたいしているという自己認識もあるでしょうし、相手の気持ちがわかりにくい、なんて傾向が発現した場合、そして本人が慢性的な生きヅラさを感じていた場合は、さらに自身の傷む言葉には過剰に反応してしまうケースだと……大変です。しんどいもん同士が責め合っている姿を見ていると、あたしゃどうして良いものか、どっちもはり倒してしまいたい気分です。彼らから一歩引いて関わらずにいられる大丈夫な人達に、私は決してなれそうにありません。それが私の異常であり個性でもあるんですけど…。
ホント、こrで私の目が良かったら、あたしゃ殺人者になってました。大学で臨床心理勉強してなかったら自殺していたかも。死んでないし殺してないだけ、私は随分ましな方……だと信じたいのですが、ニートにーとNEETじゃねえ。
つまりこのように、結局人の問題にも私の問題がぐっちゃぐちゃに入り込んでしまうので、あたしゃカウンセラーとかの道は止めたといいますか。研究というものが私の精神には負担でかすぎだったのもありますけども。巻き込み巻き込まれつつ物事は進むとはいえ、私のコレはちょっとねえ…。
気持ちよく酔って寝られるハズだったのに、世の中そううまくはいかせてくれないようです。自分語りを繰り返さざるを得ないこの状態にももう飽き飽き。そしてまたある程度休むなり過ごすなりすればある程度回復して……を繰り返す日々にもウンザリ。でも終わるわけにはいかないので必ず気持ちの一部は目を凝らし続けるしかありません。だからお酒が飲みたくなってエロエロしたくなって食べたくなって寝たくなるのであります。Zzz…。
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